昨夜は雨が降らなかった。
それだけが幸いだった。
壊れた寮の瓦礫をかき分けながら、僕はスマートフォンの充電コードを探していた。
コンクリートの破片や歪んだ鉄骨が足元に散らばっている。一歩踏み外せば怪我をしそうだ。
目を凝らし、慎重に瓦礫の上を進んでいく。
確か、この辺りだったはずだ。
様々なコードが散乱していて、どれが充電用なのか分からない。
それでも、コネクターの形が合いそうなものを三本見つけた。
どれか一本くらい使えるだろう。
コードを束ねてポケットに押し込み、腰を伸ばした。
その時だった。
人影がある。
一人ではない。
気がつくと、僕は何人もの男たちに取り囲まれていた。
まだここへ来てから三十分も経っていない。
いつ近づいてきたんだ?
僕には、彼らの足音が聞こえなかった。
五人の警官が、無言で僕を見つめていた。
顔が血だらけだ。
制帽の奥にある目が、妙に濁っている。
誰も何も言わない。 上空には、一機のドローンが滞空していた。
また、あいつだ。
僕は息を呑んだ。
警官たちは両手をだらりと下げたまま、じっと僕を見ている。
尋問するつもりなのか。
身構えた。
しかし、誰一人口を開かなかった。
その時、遠くで女性が叫んだ。
僕の補聴器にも届くほどの大声だった。
警官たちが一斉に反応した。
五人とも僕から視線を外し、同じ方向へ歩き始める。
何なんだ?
彼らの後ろ姿を目で追った。
三十メートルほど離れた倒壊した住宅の前で、若い女性が仰向けに倒れている。
迷彩服を着た三人の隊員が、彼女を地面に押さえつけていた。
さっき叫んだのは、あの女性だ。
女性は両足を激しく動かし、必死に抵抗している。
感染者なのか?
それとも、ただ捕まっているだけなのか?
僕には分からない。
先ほどまで僕を囲んでいた警官たちも、その場に加わった。
女性を助ける様子はない。
むしろ、一人が足を掴み、別の警官が腕を押さえつけた。
何をしてるんだ。
女性の表情から、さっきまでとは違う恐怖が伝わってきた。
迷彩服の男が女性に馬乗りになった。
両手を首にかける。
首を絞めている。
「あんたたち、その人を助けるんじゃないのか!」
思わず声が出た。
反応はない。
女性の身体が激しく動いた。
「何をしてる! やめろ!!」
僕が声を張り上げた瞬間だった。
男たちの動きが、ぴたりと止まった。
全員がこちらを向いた。
僕は息を止めた。
何だ?
女性を押さえていた手が離れる。
男たちはゆっくりと立ち上がった。
一人。
二人。
全員が、僕を見ている。
アイドラゴンで見た手話放送の言葉が、頭をよぎった。
――音、特に人間の声には敏感に反応します。
まさか。
男たちがこちらへ歩き始めた。
女性のことなど、もう見てもいない。
歩く速度が上がる。
僕は後退した。
足元の瓦礫につまずきそうになる。
さらに男たちの速度が上がった。
やばい。
僕は背を向け、走り出した。
倒壊した建物の間を縫うように駆け抜ける。
何度か振り返った。
追ってくる。
僕が走れば、向こうも走る。
息が切れた。
それでも止まれなかった。
瓦礫を飛び越え、細い路地へ入り、そのまま走り続けた。
どれくらい走ったのか分からない。
空腹と疲労で足が重くなり、とうとう走れなくなった。
立ち止まり、振り返る。
誰もいない。
しばらくその場で息を整えた。
撒いたのか?
それとも、途中で追うのをやめたのか。
分からない。
走るのをやめ、そのままあてもなく歩いた。
やがて、見覚えのある建物が目に入った。
介護施設だった。
いつの間にか、元の場所の近くまで戻ってきていた。
つづく
